TOKO SHINODA〔篠田桃紅〕
篠田桃紅〔しのだ とうこう〕
1913年3月28日∼2021年3月1日
和紙に、墨・金箔・銀箔・金泥・銀泥・朱泥などの日本画の画材を使い、
多様な表情を生み出した作家。
そのモダンで先鋭的な造形表現は、多くの人々を魅了していますが、
彼女は人柄や心に響く言葉も多くに愛されました。
自伝エッセイ「一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」(幻冬舎、2015年)、
「人生は一本の線」(幻冬舎、2016年)などの著書はベストセラーに。
2005年には、ニューズウィーク(日本版)の
「世界が尊敬する日本人100人」に選出もされた作家です。
1913年、桃紅は中国の大連に生まれます。
父親は東亜煙草株式会社の大連支店長でした。
厳格な父の教えもあり、幼いころから書に触れた桃紅は、
以後ほぼ独学でその道を極めます。
43歳となった桃紅は、文字を解体した作品などを携えて渡米。
「作品を見る際、日本人はどうしても文字の形と意味を探してしまう。
漢字を読めない海外ではどのように評価されるのか、
また、墨そのものの美しさをみてほしい」という考えがあったそうです。
当時は、抽象表現主義が一世を風靡していた時代。
桃紅の作品は絵画作品として高い評価を受け、
58年までの2年間に米国各地で作品を発表し、
書から墨による自由な抽象造形へと方向転換していくのです。
順風満帆に見えた米国での活動が2年で終わったのは、
乾燥した風土が合わず、墨が滲まずにかすれてしまったからだとか。
日本の湿潤な気候でこそ墨は生きると、再び日本で制作を始めます。
50年代までの激しい筆致で描き上げた抽象画は、
70年代には左右分割、明暗対照、朱の赤が引き立つ作品へ、
80年代には縦に走る力強い連続線など洗練された作品へと変化していきます。
帰国後は皇居・御所や京都迎賓館を飾る絵画や壁画などの大作を制作するだけでなく、
リトグラフや題字、随筆の活動などさまざまな分野に活動を広げていきました。
2021年3月1日、老衰により東京都内の病院で逝去。107歳でした。
作品はオルブライト・ノックス美術館、大英博物館、
ブルックリン美術館、シンシナティ美術館、フォッグ美術館をはじめ、
多くの美術館、公共施設に収蔵されています。
篠田桃紅の作品は コチラ