ANDY WARHOL〔アンディ・ウォーホル〕

 

Andy Warhol〔アンディ・ウォーホル〕
1928年8月26日∼1987年2月22日

キャンベル・スープやマリリン・モンローの肖像画などで知られ、
写真や短編映画など、幅広い分野でも活躍したマルチなアーティスト。
銀髪のカツラがトレードマークです。

1928年アメリカ・ペンシルベニア州に生まれたウォーホル
(本名はアンドリュー・ウォーホラ)。
カーネギー工科大学(現カーネギー・メロン大学)絵画・デザイン学部卒業後、
商業デザイナーとしてキャリアをスタートさせます。

60年代初頭から、キャンベル・スープやコカ・コーラなど
大量生産・消費される大衆的なものを資本主義社会の象徴として
作品のモチーフに取り上げ、アメリカ社会の平等性・通俗性を表現しました。
その後は、マリリン・モンローの死の同年に彼女を描いた肖像画や、
自動車事故や自殺者を描いた「死と惨事」シリーズも
並行して手がけるなど、死の平等性をテーマにした作品を制作します。

 

 campbells

64年には内装を全て銀色にしたスタジオ「ファクトリー」を構え、
工場で大量生産するかのように効率よく作品を制作。
夜は美術家をはじめ、当時のセレブ達が集まり、
パーティーをする場所でもありました。

当時移民であったスロバキア人の両親の元に生まれたウォーホルは、
敬虔なカトリック信者として裕福ではない家庭で育ったこともあり、
幼いことからお金を作り出すことに強い関心を持っていたそうです。
だからこそ、急成長する資本主義をみつめ、その流れをアートに組み込むことが出来たのでしょう。

アートは「1点もの」と考えていた当時の人々にとって、
ファクトリーでの大
量生産が可能なアートは大きな論争を起こしましたが、
ウォーホルは経済的に大きな成功を収めました。

 

実験的な映画も多数制作し、
ロックバンド「The Velvet Underground」のデビューアルバムのプロデュース、
インタビューのみで構成された月刊誌『インタビュー』誌の創刊など
活動の場を広げていきます。


日本では、ユニクロともコラボやテレビCMの出演でも有名です。
1983年から1984年にかけて、TDKビデオカセットテープのCMで
『イマ人を刺激する』と題して、カラーバー映像が映されたテレビを担ぎ
「アカ、ミドリィ、アオゥ、グンジョウイロゥ…キレイデス...」
と日本語を発するCMは、視聴者に強烈なインパクトを与えました。




ウォーホルを知る上で欠かせないのは、彼が扱うテーマ「死」について。
上述しました「死と惨禍」シリーズ (1962-1963)は、
1962年に起こった飛行機事故を機に、
死に対する恐怖や怒りを込めた作品群です。


40歳の時、ウォーホルはラディカル・フェミニズム団体
「全男性抹殺団(S.C.U.M. /Society for Cutting Up Men)」のメンバーだった
ヴァレリー・ソラナスに銃撃されます。
ソラナスはかつてファクトリーの常連であり、
ウォーホルに自作の映画脚本を渡したり、
彼の映画に出演したこともありました。


三発発射された弾丸のうち、最初の二発は外れ、
三発目が左肺、脾臓、胃、肝臓を貫通し重体となりますが、
なんとか一命をとりとめます。


ゴシップ関係でお騒がせなウォーホルでしたが、
これを機にファクトリーへの立ち入りを取り締まるようになると、
周りのセレブ達は離れていき、人気に影りが出てしまいます。
その中でも、キース・へリングやバスキアの才能を見つけ、
共同制作をするなど、その活動に影響はありませんでした。

58歳で心臓発作で亡くなりますが、
彼の死後も作品の価格は上がり続けています。
今でも新しさを感じてしまう彼の作品は、
現代の若者にとっても受け入れられています。

機械、大量生産、死 そんなキーワードが強く結びついたアーティストです。


アンディ・ウォーホルの作品は コチラ